2015/01/17

あれから20年


あれから10年
さらに10年たちました。

2015年1月17日。
小学生だった甥も家庭を持ち独立、母も愛犬も亡くなり、ヒビの入った実家も姉夫婦ふたりだけになりました。

10年前にブログに書いた「バスを待っていた光景」は今でも鮮明に残っています。
息子を亡くして叫んでいたあのおばちゃん、元気かなぁ。

あと、家の土台だけ残る空き地に供えられた花一輪、空瓶にどこで摘んだのか野の花を挿してあって、そのくたびれた白い花のことも鮮やかに覚えていたり。

20年前、神戸に住んでいた友達が震災後パートではじめた仕事がガスメーターの検針。
更地に戻した空き地でもガスメーターは残してあり、土地の所有者に基本料金を請求したり、契約をどうするか追跡調査するのだとか。
何処そこに避難していると行き先をチェックして処理していたそうです。
辛い仕事やったなぁ… とこぼしていました。
もちろん彼女も被災しています。

無心で働いて自宅を再建した友達。

自宅マンションが取り壊しになり、それでも会社を立ち上げ、三ノ宮に店を持ち何重もローンを抱えて商売している元上司。今年の年賀状には猫が10匹になったと書いてありました。

三原仲間の彼は、あの日に厳しい体験をしたのか、何度もその話をしかけては、酒で口を塞ぎ、ついに何も語らないまま死んでしまった。
行き辛くなったのは、あの日がきっかけだったのでしょ? それもわからないままだ。

それでも、それでも、今年は「三原順復活祭」だ。

過ぎ去った日々はすべて哀しいわけでもない。

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2014/08/31

バレエリュス

ご無沙汰です、生きています。


今日、国立新美術館で明日までの「バレエリュス展」に駆け込みで行って来ました。





オーストラリア国立美術館が収蔵しているコレクションで衣装とデザイン画で構成、なかなか見応えありました。

バレエの衣装というとスパンコールや刺繍など手工芸バリバリと思いがちなんだけど、初期の衣装は模様やラインまでもがフリーペインティングで描いてあったりと、なるほどアーティストがデザインしたコスチューム。
なんとなく踊りにくいだろうなぁ…とか思ったり。
当時だと素材もパワーネットやらストレッチ素材なんてないだろうし。

踊り手の身体のサイズに合わせて作っているので、トルソーを用意するのも大変だったろうなぁ。
ここまで揃えたなら、巡回したら良いのに…
姉に見せたいなぁと思いながらグルグルしてました。
特にペトリューシュカのニジンスキー着用衣装や青神のが良かったです。
そうそう、牧神の午後の音楽が流れていたなぁ。

図録は売切れで後日再版分を送ってもらえるそうです。
http://http://www.tbs.co.jp/balletsrusses2014/

こちらが詳しいです。
http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=484

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2014/03/20

十三

朝ドラ「ごちそうさん」が戦争時代に突入してから改めて大阪大空襲のことを調べてみたので、メモとして記してみる、長いけど。

当時、母が住んでいたのは現在「北野高校」のあるあたり、十三公園の近くだったそう。
あまり戦争の事を話さなかった母だが、大阪大空襲の事は何度か話してくれていた。

大阪の大きな空襲は昭和20年の3月から8月にかけて8度ほど記録がある、約12,200人が亡くなったとのこと。(比べることではないが東京は100,000人以上の死者とのこと)

母は四人兄妹の次女で当時は12歳、小さい頃は縁故疎開もしていたが、この頃は大阪に戻り学徒動員で軍事工場に通っていたそう。
妹(叔母さん)は学校へ、弟(叔父さん)はまだ3歳。

日にちまで聞いてなかったが、昭和20年の6月7日の空襲のことだろう。

その丁度一週間前に、行李ひとつ分だけ大切な物を詰め込み、知り合いのところへ避難させ、空襲で家族がバラバラになった時に淀川河川で落ち合う所を決めたりと備えていたそうだ。

そして朝からの空襲。
母は軍事工場から、叔母は学校から燃え切った自宅に戻り、そして淀川までたどり着き、家族みな無事だったと。

「ようけ、いっぱい燃えてたで、牛も美味しそうに焼けてた。家にな、砂糖があってんけど(他の家にはなかなかなかってんで!)それがカラメルになってて、えぇ匂いやった」
とか、悲惨な伝え方はしなかったな。

叔母は、
「学校からの途中で焼夷弾に狙われたけど、防空壕から知らないおばさんが手を引いてくれて助かった」のだそう。

あとこの辺りが参考になる。

大阪大空襲 十三が焼けた日

そうかあんな所に牧場があったのか?
それは牛もいただろう。
「淀川まで行った」と簡単に言えたもんじゃないな…

そしてその後は祖父の貸していた三国の家が焼け残ったので、そこに移り住んだ。
私も三歳までそこに居た。

この時の行李の中に昔のアルバムを入れていたので戦前の生活が偲ばれる。




その日の体験記をもうひとつ、
大阪大空襲体験の広実さん

広実さんは私の先輩だ、母校に「ほむら野に立つ」ブロンズ像が立っている。

母が亡くなる前に「十三公園のあたりに行ってみたいなぁ」と言っていたが叶えてやれなかった、見えない目で何が見たかったのだろう、プリンでも買って一緒に食べたら良かったな。

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2013/12/16

喪中につき

ご無沙汰しております…

気がつけば12月も半ばを過ぎてしまいました、愕然!

今年は喜怒哀楽の振れ幅が広くて、あっと言う間でした。
ここに来て疲れがドッと出ておりまする。

先月出した喪中ハガキは、亡き母が愛用していた着物の柄を拝借して作りました。

ガス灯?でも波頭?らしきものと荷車、家屋がモチーフのようで、これも聞きこぼしてしまい分からないままなのですが、戦前は祖父が立売堀で商売していたようなので(これもよく知らない(^^;;) その辺りの柄なのかなぁとか。
いや漁師さん??凧?ナゾは深まるばかりです。



そして今年は今までに無いほど、たくさんのマンガ原画を見ました、先週は「スヌーピー展」だったり。
来年も色々と刺激を求めてウロウロしよう、そうしよう〜。


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2013/07/17

おつかれさまでした

おつかれさまでした。
闘病26年、ナイスファイトでした。

写真は昭和30年頃の母、自作のワンピースを着て。

転院予定だった日の11時18分、安らかに旅立ちました。
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2012/09/22

墓より団子

お彼岸です、お墓参りです。
小さい頃、空堀商店街の東雲堂で三色団子を買ってから、お墓参りに行きました。

今日は姉とはじめて一緒に手を合わせました。


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2012/09/20

秋の気配

一週間ぶりに大阪入り。
慌ただしい日々です。

先日は一年ぶりに叔母のお見舞いに。
思ったより元気でした。

母が入院している京橋の病院の近くに、蓬莱551のイートインがあり、気に入った!豚まんだけ食べにいくかな。

連絡の取れない、いとこが気になっています、ここは見てないかな…
元気ですか?

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2012/09/02

少年少女 日本万国博 ガイドブック EXPO '70

大阪万博のガイドブックを大阪の実家から救出してきた。
確か2回行った記憶がある、幼稚園の頃だった。


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講談社の発行で、昭和45年のものだ。

なかなか興味深い内容で、エキスポランドに「ダイダラザウルス」あったわーーーっ!
とか、ポルトガルと日本の共催で「なんばん祭り」とか、まだ全部読んでないのですが、楽しいです。

なかでも

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各国の展示館のメニューのページにツボりました。代表料理が提供されているようですが、ニュージーランドは「メーン デイシュ」、中国は「ペキン料理」、チェコスロバキアは「定食」です。

そして、本文カットに見覚えのある絵柄を見つけ、名前を探したら、なんと故 坂口尚さんではないですか!!

さらにネットで調べてみると、すがやみつるさんが本文を担当されていたようです。

すがやみつるさんのBlog


坂口尚さんが資料も見ないで描いたシーラカンスもいましたよ。


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それにしても今見てもワクワクします、世界不思議発見な気分です。

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2012/08/14

古代蓮

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近くに蓮沼があり毎年、鮮やかで繊細な花を楽しんでいたのだけれど、埋め立てられてしまちました。
とても残念です、写真は昨年のもの。

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2012/08/09

林檎も匂わない

去年は長崎で平和式典に参加し、城山小学校を訪れた。

城山小学校には先日、文化財として保存されることになった被爆校舎が残っており、更に、あすなひろしさんの遺作タイトル『林檎も匂わない』に長崎の城山小学校の名前が添えられていたのを相方が見つけたから。
(あすなひろしさんは広島出身で、遺作も広島が舞台)

城山小学校の被曝校舎や校庭に、その言葉を探してみたけれど見つからなかった。

後で調べてみたら、峠三吉さんの『原爆詩集』「墓標」が見つかる。


また更に、
岩波写真文庫『シリーズ戦争の記録(復刻版)』の「広島 」の一頁にも同じ詩が引用されているようだ。
http://himawari823.no-blog.jp/unchiku/2009/02/post_60f6.html

ここに城山小学校と記されてある…

「墓標」は峠三吉が広島の斉美小学校の被爆者に捧げた詩。

岩波の本は、キャプションの間違いなのか…

長崎の城山小学校も爆心地から最も近い小学校だったので、殆どの生徒や職員が爆死している。
せめて被曝校舎が保存されるようになって良かった、
今日は野田総理も訪れたようだし。

峠三吉さんの「墓標」は広島のYMCAの校舎に記念碑として刻まれているようだ。


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林檎も匂わない遠いところへ行ってしまったきみたち

そして いま ぼくたちにも林檎は匂わない


『林檎も匂わない』 あすなひろし

多くの人に読んでもらいたい作品です。


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